尾﨑藤兵衛尉資料
町指定文化財 歴史資料
永 禄・元亀・天正時代、御庄は比叡山の天台寺院の支配下にあり、その代官谷氏、ついで土佐一条の家司、町氏(勧修寺)が領主となり御庄殿と呼ばれていた頃、 その領主に仕えた一人に尾﨑藤兵衛尉政儀がいた。『河野分限録』には、「御庄領主、勧修寺左馬頭基詮。本城(常盤城)、大森、緑、猿越の四ヶ所城主。寄騎 衆、上岡玄蕃允知光、満倉加賀守、尾﨑藤兵衛尉の三騎。御庄寄合三十騎」とある。
その藤兵衛は、御庄殿の枝城の新城(高知県宿毛市宇須々木)をあずかっていたといわれている。天正3年(1575)8月7日新城の戦いで、長宗我部の将、 近藤三河守を討取り、小島右近を生け捕りにするなど戦功をたてたといわれ、一条家の執政、源康政より感状をもらっている。
尾﨑藤兵衛尉への感状、扶持状や尾﨑家代々目録、藤兵衛尉使用(伝)の十文字槍などが保存されている。
このページの情報発信元
担当部署:生涯学習課
愛南町城辺甲2420番地
電話番号:0895-73-1112
愛南町城辺甲2420番地
電話番号:0895-73-1112
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください